800px-Akasaka,_Tokyo

戦後は、1坪1,000円で買えた事もあった赤坂の土地

故・邱永漢氏は、小説家としても有名でしたが、「お金の神様」として一番よく知られていました。

なぜ「お金の神様」だったかというと高度成長期には、「借金をしてでも不動産を買いなさい」と時代に合ったアドバイスをしており、株式等でも銘柄選定の眼力に定評があり、結果的に的確だったため数多くの成功者を生み出してきたからだと言えます。

今や日本一の大富豪となったユニクロを経営するファースト・リテイリングの柳井会長との親交も深く、幅広い有力な人脈があった事が伺えます。

そんな邱永漢氏が最初に財を成した方法というのは、個人での輸出事業でした。

当時、ペニシリンやストレプトマイシン等の価格が日本では香港の10倍したので、多くの密輸業者が存在したそうです。

密輸業者は、船に商品を隠し、船員や行き先の港のアメリカ陸軍の憲兵を買収して流通させていたわけです。

それを知っていた香港に移住したばかりの邱永漢氏は、大きな危険を犯さずとも郵送で送れるという事を知りました。

外国の親戚が日本人の親戚を救うために一定量の輸入を許可していたという事を知っていたわけです。

それで、月に100個、粗利率50%で日本の友人たちへ送ったところ月に100万円儲かったとの事です。

当時は、赤坂の土地が1坪1,000円だったそうなので、毎月赤坂の土地を1,000坪購入できるくらいの利益があったという事になります。

今は、坪単価500万円以上ですから、土地の購買力という視点で見てみると毎月50億相当の購買力があったとも解釈できます(実際は、それだけ当時の東京の土地価格が割安だったという事になります)。

まとめてみると邱永漢氏は、違法でリスクが高く不便で難しい輸出ルートに対して合法でリスクが少なくより簡単な方法を取って成功したという事になります。

また、扱っていた製品も「必需品」であったため購買欲が凄まじく強かったと想定されます。

もちろん、合法的に輸出をした後の個人での売買の部分が、グレーゾーンになりますが、戦後の闇市の世界では、問題にならなかったと推定できます。

それまでの邱永漢氏は、東大卒の貧乏な学生だったと言いますから人生が一変した事になります。

という事で邱永漢氏が最初に財を成したのは、個人での輸出事業だったというお話でした。

貿易は、最も原始的な事業だと言え、今も今後も輸出入は、個人として手がけるにも法人として手がけるにもチャンスがある業種だと言えます。


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